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「人はなぜ心配になるのでしょうか?」
外出する時はいつもガスの元栓をとめ、窓を閉め、カギをかけ、これでOKと確認する。でも、すぐに心配になる。ドアのカギは何回かガチャガチャして、しまっていることを確認する。それでも、電車の中で、ふと心配になる。そういえば、ガスは切ったっけ、一旦心配になりだすと気が気ではない。かといって家には誰もいない。何事もなければ・・・。家に引き返そうかな、と本気で心配になる。
「それで引き返したら、心配性を通り越して、強迫神経症だよ」と精神科の医者は笑う。
しかし、引き返したほうが安全だし、安心できる。世の中にも、そんな体験をしている人が案外多いと思う。
決して、医者が言うように神経症ではなく、心配性が強いだけである。そんな人が多いはずである。そう言って笑っている医者も、本当は仕事の時間が決まっていなければ家に引き返しているのではないかと思う。
もともと人は心配性である。人だけでなく、生きるものすべてが心配性だと思う。心配性で怖がりでないと生きていけない。つまり、サバイバルできないと思う。頑丈なカメだって、ちょっと触っただけで首を引っ込めるのは、怖がりだからである。小さなヤドカリも同じ。では、百獣の王、ライオンは、というとやはり怖がり。どんな動物でも危険が少しでもありそうな場合は、そこから逃げるのが本能である。
どうしても逃げ切れない場合に、相手に立ち向かう、つまり攻撃するのである。「窮鼠、猫をかむ」というが、ライオンもウツボもそんな状態で初めて襲い掛かるのである。どんな動物も、自分の命が一番大事、自己防衛本能が第一であり、自分の命を守る一番いい方法は、戦うのではなく、逃げることである。誇るのではなく、怖がること、心配することである。
人の場合も同じで、競うことが好きな人や誇ることが好きな人は敗れやすく、怖がりで心配性の人は、生き延び、結果成功するのである。特に人の人生は長期戦なので、一時的な外見と最終的な結果とは大きく異なり、むしろ逆の場合が多い。
心配性の人は、何事につけても慎重である。そんな人は一見するとオドオドしているし、勇気はなさそうで、カッコウも悪い。しかし、その慎重さが、間違いを犯すことを避け、人からのオダテに乗らず失敗することを避けるのである。また、地道な努力を促すのである。そして、着実に人生を歩むことになる。
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