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「朝の仏壇」

ペットの私を境にして、仏教の教えに対する関心というか希求のようなものが芽生え、様々な文献やホームページを見るようになりました。もともと、約30年ほどまえに子供を亡くしてから、毎日、仏壇にお供え物をする習慣は、それ以来今日まで続いていましたが、それほど深くは考えなかったというのが実情でした。

人や動物が、どこから来て、どこへ去っていくのかという疑問は、誰でも一回位は考えると思いますが、なかなか日常の帆走にまぎれて、ふとよぎるだけという現実もあります。同年代のなかでは、多少は仏教に対する関心は強いほうだと思っていましたが、調べていくうちに、ほとんどといっていいほど、何も知らなかったんだなと、痛感した次第です。

亡くなった人がもう一度現世に戻ってきて、あれこれ説明してくれることは100%ありませんから信じるか信じないかの世界になりますが、仏教の教えのもつ合理性を知れば知るほどただの気休めとは思えなくなってきます。

浄土真宗の場合は、「南無阿弥陀仏」と阿弥陀如来にむかって唱えます。日蓮宗は、また違うものを唱えます。それぞれに大きな意味があり、ただ唱えるだけではなく、どのような気持ちで唱えているかが信仰心の厚さを物語るそうです。

現世の様々な問題は、なかなかクリアすることが難しく、判断に何度も迷うことが少なくありません。いくら考えても、その時々の状況で判断が変わってしまうことも多々あります。恐らく、何度頭で考えても納得できる答えは見つからないでしょう。

朝起きて、何をするより早く、仏壇に向って「南無阿弥陀仏」と何回も無心に唱えていると、最初は何も感じませんが、毎日続けるうちに、何かの存在をおぼろげに感じるようになります。その時々の精神状態がありますので、常にそうだという訳ではありませんが、迷ったとき、気力が失せてきたとき、に試してみて下さい。必ず、何かをつかめるはずです。

 

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