● トップインデックス>東京の副作用

昔から、都市部と地方のさまざまな格差はありましたが、現代ほど一種ねじれた形で東京と地方の格差が表われはじめた時代はないように思います。なんといっても政治と経済の中心地ですから、地方とはそのスケールメリットの面からいっても比べ物にもなりませんが、昔は東京という言葉の響きやそのイメージには一種の憧れのようなものがありました。ある意味で敬意を表していたわけです。

しかし、ある時期から日本の各都道府県は互いの存在関係について、否応なしに変化を余儀なくされてきたように思います。それは、あらゆる面で日本国内が飽和状態となり、少ないマスを奪い合う一種戦国時代のような様相を呈しはじめて来たからではないでしょうか。

共存共栄、ウィンウィンの関係などの単語は、口にすれば美辞麗句となりますが、一旦行動に移せばかなり際どいものとなります。かって、三重県の知事に就任された北川知事が、県内にインターネット網を整備して「ネット武装」して、三重県を各界にアピールするというお話をテレビでされておられましたが、このあたりから、実質的な戦国時代が始まったように思います。

その後、その流れは東京にも受け継がれ、絶対的なスケールメリットをもつ東京が、一気に国内のポータルシティとして、一極集中の価値観を見せ付けているような気がします。資本主義の効率性は、一方で競争力の強化につながりますが、他方では、大きな経済格差を生む原因ともなります。

国内で力を持ちすぎた東京は、結果として返す刀で地方を精神的に追い詰める作用を発揮しています。これは、必ずしも東京だけに責任がある話しではなく、日本人のこころが常に他との相対的な比較で自分のあり方を評価するという弱点があるからです。

東京の副作用は、すなわち人間の弱点でもあります。私たちは、肝に銘じて「他者とは比較対象の存在ではなく、同じ時間をたまたま生きることになった同志として、思いやりやいとおしさの対象」として、感じるべきではないでしょうか。

Copyright(c) 2007 horry. AllRightsReserved.