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「こころ」と言う目に見えないものを、どうして科学できるのでしょうか。
数式にでも置き換えられるというのでしょうか。それは否です。こころを見ることは出来ませんがこころは何の脈絡もなしに勝手に存在しているわけではなく、非常に科学的かつ合理性をかね備えています。ですから、このような「こころ」は立派に科学の対象となり得るわけです。
この「こころ」を医学的に解明しようとするのが精神病理学であり、肉体的な生と死まで拡大してその神秘に迫ろうとするのが宗教であると言えるでしょう。一般的には精神病理学は科学的で、宗教は非科学的と考えられがちですが、それはなかり見当違いの面があります。
現世しか、自分が実際に見聞きしたものしか絶対に信じない人にとっては宗教はまぎれもなく非科学的なものに映るでしょう。しかし、人間の能力では計り知れないものがこの世にあると少しでも思っている人には、何かそこに一本線が走っているような一種の合理性を感じ取ることができると思います。
例えば、このような一節があります。
「どんな仲の良い夫婦も親子も必ず別れが来ます。
愛妻と死別した悲しみに、生きていけないほど苦悩した人がいました。
子どもを失った悲しみに、慟哭した親は数え切れないでしょう。
親は死してなお子を育ててゆく。
また、亡き子に親が育てられてゆく。
仏さまの大悲のおこころを聞かせていただき、ご信心をたまわったものにとっては、死は虚しい滅びではなくて、お浄土に生まれて仏さまにならせていただく「ご縁」であります。」
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