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実の親による児童虐待があとを絶ちません。昔も躾に厳しい親は当然いましたが、殺すところまではいっていなかったように思います。自分が親に虐待されたトラウマによるものとか、若い母親が男の気を引き止めるためにとか、さまざまな動機が報じられています。
自分の子供を巻き添えにした無理心中などもそうでしょうが、自分の子供を私物化する人々がなせるわざでしょうか、人の生は、天から与えられたものであり、いくら親といえども好き勝手に自由に処分することなど、決してできない神聖なものです。
個人の所有権を認める資本主義の末路なのでしょうか、このような親に道徳を教えるという論議もただ空しいような気がします。人は、道徳を教わったからといって、悪人が善人になり、利己的な人が他人を思いやる利他的な人に生まれ変わることは、まずないと思います。
人が人の道を説くことの難しさは、過去の幾多の歴史も証明していますし、ましてや今の日本にそのような人がいるとも思えません。ある意味、五十歩百歩のレベルかも知れません。しかし、何かのきっかけになるかも知れない可能性もありますので、望みを捨てずに、ここはやはり生の本質を啓蒙していかねばと思います。
それでも、どうにも自分の能力では解決できない場合は、殺すことはしないで、誰かに託して自分はただひたすら祈る、これでもいいのではないでしょうか。
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