● トップインデックス>犬のしごと、人間のしごと

この世に存在するものに、無駄なものはなく、何か理由があって生を受けています。
とは昔から言い伝われている言葉です。理解できるときもあり、全くそうは思わないときもあるのは、人間の一種の業のようなものと思われます。「人間は万物の霊長にして・・・。」は誰のことばか忘れましたが、万物の霊長にしても、そうでないにしても、それぞれの命には果たすべき役割が天から与えられているのだと思います。その意味からは、無駄なものはないという言葉も間違ってはいないのでしょう。

このようなコラムを書いていますと、その都度考えさせられることも多く、その時に初めて気づいたというような事も多々あります。果たすべき役割には、重いものもあり、比較的軽いものもあり、その生のパワーに応じて内容が決められているのでしょうか。しかし、たとえ、軽いものであっても、受け取り側の感性によっては大きな悟りの境地を開くキッカケになるかも知れません。

「犬のしごと、人間のしごと」のタイトルは、愛犬家にとっては、なんだか内容がわかってしまっているという反応もあるかも知れません。「思い出を有難う」とか「永遠に忘れません」とか、犬を擬人化しての感情移入の舞台のように思われるでしょう。

犬と人間が違うことは、誰しもがわかっていますし、ペットとしての存在であることも、わかっている事です。家族同様に接していても、家族とは厳然とちがうものであることも事実です。犬は犬です。人間ではありません。しかし、同じ生を受け、同じく死を等しく迎える存在であることは、犬も人間も全く同じです。その意味ではドッグランの速さで人生を駆け抜ける犬のほうが、人間より先輩であります。人を含めた動物や植物には天から表現力が与えられています。最も饒舌なのは人間でしょう、しかし、こころの中には同じものがあると思います。それをどう表現できるか、という違いだけではないでしょうか?

私たちは、同じこの世に生を受けたものとして、もっと謙虚に耳を傾け、何を言いたかったのかを自問自答しなければ・・・と。表現力が制限されたもののほうが、はるかに強いメッセージを発信しているということはないでしょうか。

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